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浦和地方裁判所 昭和49年(ワ)208号 判決 1981年8月19日

原告

伏見知久

原告

伏見はつよ

亡伏見忠治訴訟承継人(以下三名共通)

原告

伏見光正

原告

金子さき

原告

伏見忠範

右訴訟代理人

渡辺良夫

外九名

被告

埼玉県

右代表者知事

畑和

右訴訟代理人

丸山正次

外三名

主文

一  被告は、

1  原告伏見知久に対し、金四二六六万八三五九円及び内金三八七八万八三五九円に対する昭和四九年七月七日から、内金三八八万円に対する本判決確定の日から各完済までの年五分の金銭

2  原告伏見はつよに対し、金三〇八万円及び内金二八〇万円に対する昭和四九年七月七日から、内金二八万円に対する本判決確定の日から各完済までの年五分の金銭

3  原告伏見光正、同金子さき、同伏見忠範に対し、それぞれ金三八万五〇〇〇円及び内金三五万円に対する昭和四九年七月七日から、内金三万五〇〇〇円に対する本判決確定の日から各完済までの年五分の金銭

の支払をせよ。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、被告の負担とする。

四  主文第一項は、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一当事者らの地位

伏見忠治(<証拠>によると、昭和五一年七月一五日死亡したことが認められる。)の二男である原告知久(昭和二五年一一月二九日生)が、昭和四一年四月、被告の設置管理する埼玉県立松山高等学校(略称松山高校)に入学し、同校の特別教育活動の一環である体操部(顧問石原実教諭)に所属していたこと及び原告はつよが忠治の妻、その余の原告らが忠治の子であることは、当事者間に争いがない。

二本件事故の発生及び傷害の程度<省略>

三本件事故発生に至るまでの経緯

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる(なお、証人石原実、同菊地侑三郎及び同中川政晴の各証言中以下の認定に牴触する部分は、採用することができない。)

1  体操部のクラブ活動の実情

(一)  本件事故当時、松山高校体操部は、部員数が一五、六名であつて、同校体育担当の石原教諭が顧問として指導を担当し、三年生の岡田某が部長を務めていた。そのクラブ活動は、通常、日曜、祝日を除くほとんど毎日午後三時半から五時半頃まで二時間くらい行なわれていた。そして、同部の年間活動計画は、対外行事の予定などを考慮したうえ、年度当初に三年生を中心に石原教諭と協議のうえきめられていた。しかし、日常の練習については、格別、指導計画や練習計画は作られておらず、従来からの練習方法、すなわち、徒手、マット運動等の準備運動をした後、器機を使つて準備運動をし、一日二種目の器械体操を練習するという方法であつた。

(二)  ところで、同校には屋内に鉄棒設備がなかつたため、鉄棒の練習は、校庭に設置された鉄棒を使つて行なわれていた。そのため、対外試合等に出場した者を除いては、部員は、ほとんど屋内で鉄棒の練習をしたことがなく、入学したばかりの原告知久もその経験が全くなかつた。

また、同校にある鉄棒には、墜落の際の危険を防止するため、下に一メートルくらいの深さの穴を掘り、その中におがくずが埋められていた。そのため、練習中に鉄棒から墜落する者がいても、それによつて負傷する者はなく、したがつて、墜落の際の危険防止のために補助者をつけるという指導は全くされておらず、その習慣もなかつた。

(三)  日常の実技指導は、昭和四〇年までは同校教諭の永島某がしていたが、同年に同教諭が転任したため、本件事故当時は部員中の三年生が下級生の指導に当つていた。

もつとも、松山高校の卒業生で、本件事故当時、日本体育大学(四年生)において体操を専攻していた菊地侑三郎が、石原教諭に依頼されて、昭和四〇年頃から、コーチとして指導してはいたが、菊地は、同部の合宿や大学休暇中等に自分の練習を兼ねて参加していたのであつて、日常の練習に常時に参加するということはなく、その指導も、主として技術の進んだ上級生を対象とするのみで、下級生に対する実技指導や安全面の指導を行なうことはなかつた。

(四)  他方、指導担当の石原教諭(当時四二歳くらい)は、毎年四月、新入部員に対して体操部の活動や練習方法を説明し、また、毎年一回行なわれる同部の合宿に参加し、その際健康管理等について一般的な注意をすることはあつたが、日常の練習に参加することはほとんどなく、せいぜい週に一、二回、五分から一〇分程度、練習の状況を見に来る程度であつて、その際にも、無駄のない練習をしろとか、怪我をしないようにとか注意するだけで、実技指導はもとより、体操の練習をする際の危険防止についての具体的な指導を行なうことなく、また菊地コーチに対しても、安全指導について指示あるいは指導の依頼をしていなかつた。

2  原告知久の技量

原告知久は、中学時代は陸上競技部に所属しており、体操競技については、松山高校体操部に入つて始めて本格的な練習をしたものであつた。もつとも、その年の夏(本件事故の直前)合宿に参加し、その頃までには、昭和四〇、四一年度男子高校体操競技規定演技集(日本体育協会作成)によるいわゆる「鉄棒規定問題」は、一応、ほぼ連続して行なえる程度には上達していたが、練習中に鉄棒から墜落して、前記のおがくずの上に落ちたこともあり、同部の上級生と比較すれば、鉄棒の技量、経験ともにまだ未熟であつた。

3  上尾高校における練習と事故の状況

(一)  松山高校体操部は、昭和四一年七月下旬から八月上旬にかけて約一週間、同校において合宿を行ない、これには、石原教諭及び菊地コーチも参加した。その合宿のミーティングの席上、部員から上尾高校において同校体操部と合同練習をしたいとの希望が出された(上尾高校の方が技術的にすぐれていた)。そこで、当時、上尾高校体操部の指導もしていた菊地コーチが同部に連絡して合同練習の承諾を得ることになつた。そして、同コーチが上尾高校体操部から八月一〇日に合同練習をすることの承諾を得たので、松山高校体操部の岡田部長にその旨を伝え、石原教諭や他の部員と集合場所等について相談しておくよう指示した。そのため、部員から石原教諭に対し八月一〇日に合同練習をすることが伝えられたが、同人自身は、上尾高校における校外練習に参加する意向がなく、菊地コーチや岡田部長らとその練習計画について打合わせることもせず、上尾高校における練習環境について調査をするようなこともしなかつた。

(二)  原告知久ら松山高校体操部員及び菊地コーチは、八月一〇日午前八時頃、予定どおり東松山駅に集合したが、石原教諭は、私用ということで出頭せず、同人から菊地コーチあてによろしく頼む旨の伝言があつただけであつた。

そこで、菊地コーチは、部員らを引率して、午前一〇時頃上尾高校に到着した。ところが、同校体操部の練習は、午後一時からであることが判明したため、菊地コーチの指示に従い、同校体育館において、松山高校体操部だけで練習を開始することになり、鉄棒等の体操器具を設置した。その際、鉄棒については、その下の両側にわたつて長さ一二メートル(片側それぞれ六メートル)、厚さ五センチメートルのマット二枚を重ねて敷き、その片側のマット上にだけ厚さ三〇センチメートルのウレタンマットを敷いた。

次いで、部員らは、徒手体操、マット運動をした後、菊地コーチの指示に従つて、各自器具を使つた準備運動を開始したが、その際、同人は、体育館における演技に慣れるようにと指示した程度であつて、部員らが日頃屋外で練習している鉄棒について、屋内で演技する場合距離感等の感覚が変化することを説明したり、練習の際補助につくように指示したりすることは全くなかつた。

(三)  原告知久は、他の部員らとともにあんばを二、三回練習した後、自分の番が来て、鉄棒の練習に入つたが、一回目は、鉄棒に飛びついて身体を振る程度の運動をし、次いで二回目は、鉄棒規定問題を軽く流すつもりで、これにかかつた。ところが、屋内における鉄棒練習が始めてであり、回転中の自分の位置をみきわめることができなかつたこともあつて、正面懸垂から前に振上げをし、両脚中抜き下りに入る直前の身体の回転速度が速すぎ、鉄棒から手が離れて、そのまま空中に飛び出し、後頭部から落下し、ウレタンマットの敷かれていない側のマット上に首の後側が当るような姿勢でぶつかり、前記認定の傷害を負つた。

なお、同原告が二回目の鉄棒練習をしていた際、鉄棒の付近には数名の部員がいたが、いずれも練習の準備をしたり原告知久の演技をみていたりしていて、補助のために鉄棒の周囲にいた者はなく、もとより同原告の墜落を防止することは全然期待できない状況にあつた。

四被告の責任

判旨そこでまず、国家賠償法一条に基づく責任について考察する。

国家賠償法一条にいう公権力とは、国又は公共団体の作用中統治権に基づく優越的な意思の発動という本来の権力作用に限られず、純然たる私経済作用及び同法二条にいう営造物の設置、管理作用を除くすべての作用をいい、したがつて、いわゆる非権力作用を含むものと解される。そして、県立高校における教育作用は、基本的には、県と生徒間のいわゆる在学契約によつて発生するものではあるが、それが公の営造物を利用して行なわれ、かつ、その経費のかなりの部分が授業料以外の県からの助成補助に依存している点において、純然たる私的作用ということは相当ではないから、当然、国家賠償法一条の適用を受け、教師の行なう教育活動は、同条にいう公権力の行使に当るものというべきである。

本件において、石原教諭が被告の地方公務員であることは、当事者間に争いがなく、同人が職務として松山高校体操部のクラブ活動の指導に当つていたことも、弁論の全趣旨より明らかである。

ところで、<証拠>によると、およそ、高等学校におけるクラブ活動は、生徒の自発的な活動を助長することが建前であるが、それとともに、常に教師の適切な指導が必要とされるものであり、その指導担当教師は、単に名目だけでなく、たえず活動全体を掌握して指揮監督に当り、指導に当つて外部の指導者を依頼する場合にも、実際に担当教師が練習に参加して指導上の責任をもち、その指導者との密接な連絡のもとに教育的効果のあがるような指導が行なわれていることが必要とされていることが認められる。

判旨このような見地からすると、石原教諭としては、日頃から体操部の練習にみずから参加したうえ、部員の技術面及び安全面の指導を行なうべきであり、特に、校外における施設、環境のもとで練習をする場合には、そのこと自体によつて、日常の練習の場合以上に危険の発生が予想されるのであるから、みずから生徒を引率し、事故防止について生徒を十分に指導し、そのための安全措置をとつたうえで練習を開始させるか、あるいは、何らかの事情で他の者に引率指導を依頼せざるをえない場合には、事前に練習場所の状況について調査し、その者に対して、事故防止についての指導や安全措置をとるべき義務があり、本件についていえば、松山高校と上尾高校の鉄棒の施設について、前者が屋外にあるのに対し後者が屋内にあるという環境の差異からして、演技中の感覚に違いが生ずることを部員に十分説明し、演技中に墜落した場合に、松山高校においては、落下面に深さ一メートルの穴におがくずが埋められていて安全が確保されているのに対し、上尾高校においては、マットが敷かれているだけなので、事故を避けるため事前に補助者を配置する等の措置をとるように具体的に教示し、そのような安全措置をとつた後に練習を開始させるよう特段の指示をすべきであつた。

ところが、石原教諭は、日常の練習においても、ほとんど参加したことがなく、実技指導はもとより、安全面の指導も行なわず、菊地コーチに対しても、安全措置をとるよう指示した形跡がなかつたばかりでなく、八月一〇日に上尾高校で合同練習があることを知りながら、これに参加せず、(参加できなかつた理由について納得できる説明はない。)しかも、当日体操部員を引率した菊地コーチに対して事故防止について前記のような指示をすることがなかつたため、同人も、その点について全く配慮することなく、原告知久を含む部員らに日常と同一の練習をさせたのであるから、被告の履行補助者たる石原教諭は、部員たる原告知久の身体の安全を確保すべき義務を怠つたものといわざるをえない。

そして、同人が、日常から安全面の指導を十分にし、特に、本件事故当日も、上尾高校における合同練習に参加するか、少なくとも、菊地コーチに指示して右のような義務を履行していたならば、原告知久も、日常の練習以上に注意を払つて鉄棒の練習をすることによつて、墜落の危険を可及的に減少させ、また、仮に墜落したとしても、他の部員がそれを予想して補助の役割を果していれば、墜落者の身体を受けとめることによつてその衝撃を緩和し、本件のような重大な傷害の発生を防ぎえたであろうことは十分に予想できるから、石原教諭の義務違反と本件事故発生との間には、相当因果関係があるものというべきである。

そうすると、被告は、国家賠償法一条に基づき、本件事故によつて原告らの蒙つた損害を賠償する義務がある(原告らが選択的に請求している債務不履行及び一般不法行為責任については、したがつて、判断する必要がない)。<以下、省略>

(橋本攻 薦田茂正 並木正男)

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